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45年前の今日は新潟地震

昨日に続きまたまた、回顧ネタです。

45年前の今日(昭和39年6月16日)は、「新潟地震」です。

高校3年生の私は、就職試験で上京し前夜の夜行急行で帰りそのまま
帰島はせず、新潟から岩船の実家へこの日の朝10時過ぎに着き、
2階の自室で昼寝中でした。

13時、外から帰宅した母が戸を開けて何か呼んだようなよう声で
目を覚まし、ガタガタいう音で、入り口の戸でも外したのかと思った瞬間
うつ伏せで寝そべっている身体が浮き上がるような強烈な下からの
突き上げが何度も襲い、

今度は立っていられない横揺れがすぐにやってきて、四つんばいで
階段まで行くと階段も湾曲しながら揺れています。

どうして降りたかよくわかりませんが玄関の戸をやっとこじ開け
家の前の広場に出ました。

平日の昼間なので人は仕事や学校へいってる時間で
家に残っているのは老人や主婦たちだけ、突然の出来事に
腰を抜かして泣き叫んでいます。

男は私一人、これは昼寝の最中だったため、パンツ一丁で
飛び出しています。

揺れは激しく繰り返され、大地が波打つように見え、建物や
立つ木が揺れます。

屋根から瓦が落ち、壁も崩れ落ちます。
広場の真ん中にパンツ一枚で呆然としている私に、
泣き叫びながら近所の女性たち(おばさんとばあさん)が
すがりつきます。

揺れている家に戻り、服を着て落ち着こうと考えるのですが
体の震えは中々おさまりません。

何とか思考を正常化して、地震?・・次は津波?・・と
思い、裏の浜に出ると、
当時我が家は一番海にちかく裏から砂浜が150メートルぐらいで
波打ち際でした

浜に出ると、そこには生まれて以来見慣れた海がありません。

海水がすっかり引いてというより無くなっていて海底が見たことも無い
はるか沖合いまで露出して海底に沈んでいた粗大ごみが横たわっています。

母を急いで自転車で山の方にとにかく逃げるようにと追いたて、中学校で
落ち合うことにして、家に入ると慌てた母が持ち出し忘れた、通帳や
財布が散らかっています。
それらをまとめて、さらに津波で水につかると大変と考えてテレビを2階へ運び
何でテレビなのか、よくわかりませんが

その頃、津波の第一陣はとっくに襲来して家の周りは濡れていました。
津波は大波が襲ってくるものと思っていましたが、来る時は水位が見る見る上昇して
行き、引くときはすごい勢いで引いていきます。
この日岩船の漁港は凪にもかかわらず出漁している漁船は無く、ほとんどは
港内に、もやってありました。
この漁船が石川を逆流した津波にもっていかれ、上流の田んぼや山のふもとまでも
運ばれ全滅状態でした。

新潟港を拠点にしていた父の船は出漁していて、震源地近くで操業していたのですが
地震にはまったく気づかなかったそうです。
無線基地局が停電した為、連絡が急に途絶え、そのうち新潟港で大きな黒煙が
上がり始めたので、戦争が始まって新潟が攻撃されたと思い、
新潟へ帰港すると危険だと考えて岩船に回航してきました。
入港して聞いて初めて地震と判ったそうです。

この新潟港の黒煙は、昭和石油の原油タンクが爆発炎上したもので鎮火するまで
一週間以上かかったような気がします。

当時は大気もまだ澄んでいたのでしょう、岩船から弥彦山が常に見えていました。
弥彦山にこの黒煙が重なって見えたので地震当初の停電で情報の入らない時点では
弥彦山が噴火したというような情報も流れました。

震源地は我が家の沖合い、粟島の近くの海底でした。
粟島はこの時島全体が約1メートル隆起して島が一回り大きくなりました。
港は当然浅くなって使えなくなりました。

高台の中学校の近くで合流した母の持ち出した風呂敷包みの中身を確認すると
電気炊飯器とジュースの空き缶に妹がためていた一円玉貯金。
それに、枕だったか座布団だったかが入っていて大切なものは皆置き去りでした。

周りは、頭を半分だけ散発して逃げた人、道端で手提げ金庫を拾ってきた人、
後から考えて笑えるのですが、当日は皆笑いを忘れて引きつった顔つきでした。

新潟では、県営の鉄筋アパートが将棋倒しとなり、数日前に閉幕した国体に
備えて完成した昭和大橋や八千代橋が無残にも橋げたが落ちたりして通行不可に
なる中で、一番古い万代橋が力強く残っているのが皮肉でした。

新潟港も損壊が激しく、しばらく佐渡にも戻れなくなり、父の船を手伝っていました。

いろいろ思いでは尽きませんが、全国から復旧作業でやってきた自衛隊関係で
市内は埋め尽くされ、信濃川両岸は水没して、駅前周辺は地盤沈下で2階が
一階近くまで下がって建物は傾き。さながら戦場のようでした。

傾いたまま営業する駅前パチンコのたくましさ。

あの日から45年、地震には敏感になり、関西淡路大震災も経験しました。

新潟市内、大阪神戸市内を見るたびに人間のすさまじいばかりの
復興エネルギーを感じます。



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新潟県北部の漁師の次男坊で生まれ、情報産業に従事して退職後は佐渡島で生活。

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